記憶の森 繊維筋痛症について

20140515best

2016年8月25日の夜・・・
ある偶然が起こったので
今日は
わたしにとってのあるターニングポイントとして
これまでとこれからのことを書いておこうと思います。

 

とっても大好きなある女性からの1本のお電話でした。

 

「美幸ちゃんのご病気は、今テレビで放送されている繊維筋痛症」ですか?
よく今まで頑張ったね。本当によく頑張った。辛かったね。。。」
電磁波が身体に痛みを感じるわたしは
2007年7月7日七夕のあの日以来
休養中のお部屋にある電磁波が発していると思われるものすべてを
なるべく避けるようにして過ごし始めました。

とくに
あの日以来
わたしはテレビをまったく見ない生活になったのです。
そのわたしが今年の8月下旬のある夜。
珍しくもたまたま外出先のテレビから流れてきたある番組。

わたしが何年も「原因不明」と診断され、病名もわからないまま完全に寝たきりになるまでの
7年あまりをお仕事をしながら過ごし、歩くことも起き上がることも最終的にできなくなって
初めてたどりついたその先は・・・

当時のわたしにはまるで想定外の難病。

 

 

繊維筋痛症 -せんいきんつうしょう-
(厚生省で難病指定されていなく保険も効かない部類にはいります)

 

人一倍、元気で動き回っていたわたしが・・・
まさかの・・・難病。
御内にもいないし、まわりにもいなく自分がそうなるだなんて
まったく予想もしていなかったのです。

 

同じご病気や同じ体験をされた方
もしくは今現在そのご病気中な方へ
何かのヒントになりましたら幸いです。

 

こうしてわたしが公に書くことができるようになりましたのも
おかげさまで「死」と隣り合わせにいた数年間の最悪の状況から快復してきていることと、
あともう少しで細胞すべてが生まれ変わりそうなところまできていると感じているからです。

その渦中にいた時には、毎秒毎秒を痛みと戦い明日どうなるかなんていうことより毎秒毎秒、
呼吸をするだけでも全身に激痛を伴うという数千日。

誰かに自分のことを話す余裕すらなかったのです。
「何かをする」ただそれだけで、エネルギーが使われ、
ただ呼吸をするだけで精一杯だった日々、
それ以外のほとんどのことは激痛すぎて何もできなかった・・・
というのが現実でした。

 

 

2007年07月07日 七夕
余命2年を宣告されたわたしにおこった出来事。

 

2016年
大好きな夏も終わりかけにちかかった8月の下旬。

電磁波が身体に痛みを感じるという後遺症を未だに身体にあるわたしは
必要最低限以外はまったくテレビを見ることのない生活を送っています。

なのに
たまたま
この日は自宅ではないところにいて
たまたま
この放送を見ることになったのです。

言葉を失い
涙がただただあふれた1時間。

わたしが何年もかけて現在にいたるまで
快復に何千日もかけてきたある原因不明の病。

「繊維筋痛症』

という難病な高校生の女の子の特集をしていたのです。

 

 

わたしは
リアルにこの「繊維筋痛症」の体験者なので、
彼女のどの言葉もどの体感もすべてが当時のわたしとすべてリンクしてしまい・・・
とにかく涙があふれて止まらなくなってしまいました。

ちょうどその放送が終わった頃に、
とっても仲良くしてくれている大好きなおね〜さまから

たった一言のメッセージが・・・

 

「美幸ちゃんのかかっていた難病は、繊維筋肉症ですか?」

 

このタイミングに
普段、まったくテレビを見ないつけないわたしがたまたま見ていたそのタイミングに、
とってもご縁の深いとっても大切なおね〜さまからのメッセージ。

彼女とは快復途中、ひとりで歩けるようになって、まだまだ身体の痛みはあるものの、
ようやく大好きなドレスを着ることができるようになったばかりの頃に
不思議なご縁で知り合ってからの仲良し。

たくさん色々なことを話したり、たくさんのお時間を一緒に過ごしてきた人。

 

何かこのタイミングで、同じ放送を見ていたことにまた見えない何か・・・を
感じざるをえなく・・・
しばらくの間
涙がとまらなくなったのです。

 

その想いはたったひとつだけ。

 

わたしよくここまで生きてこれたな。。。
よく頑張ったよ。
あんなに痛くて生きていることだけで痛いという拷問のような身体を
何度も

もうこんな身体いらないよ。
痛くない世界に行きたい。
お願いだからもうわたしを殺してください。。。

 

 

何度も何度も
呼吸をするだけでも全身に激痛が走るという身体に耐えきれずに
もう
この身体いらないよ

神様はどうして

こんなことをするの?

 


何千日もの間
ただ1秒先の命をつなぐ

ただそれだけの毎瞬をつなぐだけの

 

その未来が今

 

あれからもうすぐ10年になる。

 

そして
今年の七夕は・・・
余命2年を宣告されてから9年目。
東京ははじめて・・・
たぶん19歳くらい以来にはじめて東京の空は晴れていました。
産まれてはじめて
2016年の七夕にはとっても大切な人と一緒にいれたりして・・・
会いたい人に会いにいけるようになっていることに
ただただ感謝な今日この頃。

 

これまで
「難病」というだけで、それまでのわたしもそうだったように
世間の人からどう思われるのかな?とか
色々なことを思われたり誤解されるのがこわくて

ずっと
あまりオープンにしてこなかったのだけれど
もうそろそろ
同じ症状にある人たちやそのまわりの人たちへ
少しでも何か快復や気持ちの持ち方などのヒントになるのなら・・・


書き留めておくことにしました。

 

ふりかえると
発病?は30歳くらいのある日でした。

当時のわたしは、百貨店で1日中立ちっぱなしというお仕事をしていました。
お店をまかされていた関係上、まるまる1ヶ月くらいは店頭に立っているような
期間もあったりしました。

ある日のお仕事中の夕方に・・・
首のつけねからおしりにむかって落雷のようなものが落ちた感覚が身体の中に
ドスンと響き・・・

その場でくしゃっとしゃがんでしまったのです。

 

今思うとあの症状が最初のお知らせだったと思います。

 

立ち仕事には慣れていたはずのわたしでも
あの日だけはそのまままっすぐに立てなくなってしまい、病院へいくことに。

「立ち仕事ですし、過労でしょうね。すこしゆっくりされたらよくなりますよ。」

 


MRIやレントゲン、採血・・・
何を検査しても、繊維筋痛症というのはどこにも検査反応がでないという珍しい症状なのです。
逆に言ったら・・・
内蔵疾患はまったくなく神経系のマヒ

ということだけになるのです。
そしてわたしの場合は、遺伝でもなんでもなく・・・後天性。

 

それ以来
少ないお休みの日を利用して、都内の大学病院はすべてまわり、
日に日に左半身から痛みが増し動かなくなっていく身体を検査していただいていました。

 

検査結果は毎回おなじ。。。

 

「内蔵もキレイ!どこも悪くないですよ!過労ですね。お仕事少し減らされたらどうですか?」

 

こんなに痛いのに
泣き叫ぶほど痛いのに
左腕なんてもぎれとれそうなくらいに痛くて
もう腕もきかなくなってきているのに
どうしてどこのお医者さんもわからないの?

 

本当に今思うと、お医者さまというのは、専門分野以外のことは診断できないのは当然で、
総合的な診断のできるはずの大学病院ですら・・・

 

原因不明。

 

生まれ変わったらお医者さんになるよ。わたし。
そしたら目には見えない痛みをケアできるお医者さんになってみんなを助けたい。

といつも思っていました。
本当に驚くほどに誰にもわからなかったのです。
痛みは目には見えない。でも本当に呼吸をするだけでも全身に激痛が走り
さらには空気そのものが痛いというまるで拷問のような痛み。
そして、寝たきりになったときには、お箸をにぎる握力すらなくなっていました。


もちろんベットから起き上がるのも目が覚めていたとしてもお部屋をかろうじて歩けるようになるのがだいたい夜22:00くらい。

本当に身体が激痛なのと筋力の低下で動けなかったのです。

 

 

 繊維筋痛症の症状

昨年の春あたりから現役医学部の大学生な子たちから
「繊維筋痛症は知っていますよ。大学の講義に組み込まれはじめていますから。」

と教えてくれて、やっとここまできたのね。と少しほっとしました。
2007年当時は、空気が痛い、呼吸するだけで全身激痛と言うたびに

「美幸ね〜は・・・宇宙人だから地球に住めなくなってきたんじゃないの?」

なんて冗談を言われて笑っていたけれど
本当にその症状がどんどん進んでいたわたしは、いつか立てなくなるのかも。。。
と日々、なんとかして身体を痛くない身体にしなくては・・・
と模索していたのです。

その症状は人それぞれだとは思うのですけれど・・・
わたしの身体に起こった症状を具体的に書き留めておこうと思います。

 

□ 空気そのものが痛い。
全身の生皮をはがれたまま暮らしている感覚。
□ 身体全身が激痛。全身を常に「けん山」をなげつけられているような激痛。
□ シルクややわらかいガーゼ以外は、布が身体にあたることすら激痛。
なので、下着もつけられずほとんど全裸で過ごしていたほど。
握力が少しもどった1年後に、ひさしぶりにあけれるようになった
クローゼットにはいっていたお洋服の9割は、もう身体が痛くて着ること
すらできないデザインのものばかりでした。
(お仕事で着ていたスーツなどピッタリとしたお洋服たち)
□ 全身の筋力の低下。
ねたきり初期は、お箸をもつ握力すらなく、顔を自分で洗うことも
できない。シャワーの蛇口をまわす握力がなく、お風呂にひとりで
はいることだけでも大変。
□ フローリングの床が足の裏にあたるだけで、まるでけん山の上に立っている
ような激痛が走るため、休養中のお部屋のフローリング部分すべてに
オーダーでムートンをしきつめて暮らしていました。
□ 目をあけると白目部分が空気にふれる・・・ただそれだけで激痛。
ただひたすら目を閉じているほうが楽。
□ ものに触るだけで激痛。必要最低限なもの以外は触るだけでも激痛。
□ 電話がかかってきても受話器をにぎる・持つ握力がないので
出れずに音信不通になる。
ノートパソコンをひらく握力すらなく、開けるようになったのは
この七夕から約1年後。
□  空気そのものが激痛なので、水中にいるほうが身体が楽でした。
□ 音も波動振動なので、ほんのわずかな音でも身体に激痛がはしり
気を失ってしまうほどの発作は数えきれません。
□ ぬれたタオルにふれるだけで激痛。お風呂あがりのバスタオルすら激痛。
休養生活3年目くらいなったある夜、身体をふいてもタオルが痛くない!
と感じたときには嬉しくて泣いてしまったほどです。
□ 左側(心臓のあたり)の背中からみぞおちまで太い矢がずっとささってい   るような激痛。
これはあるケアをすることで、約1年くらいでどんどんその矢が身体の
外側からみぞおちのあたりへと移り・・・ちょうど胸の谷間あたりから
ある日すーっと抜けた感覚がありました。
オーラソーマのイクイリブリアムボトルno 26 ハンプテイダンプテイ
エーテル体のショックを吸収しバラバラになったエネルギー体を
元の状態へともどしていくことをサポートしてくれるボトルの影響だと
思います。
わたしの身体におこった症状はざっくりとこんなかんじでした。
入院を強いられたものの・・・
同じ難病の方の入院病棟を見にいくと
全身、まるで人の色ではない皮膚の色になっている寝たきりの人たちを見てしまったわたしは
わたしはそうなりたくない!

と強く思い、担当医にムリを言って
「自宅休養にさせてください。わたしは投薬も拒否します。お食事と生活スタイルを
すべて変えて時間がかかったとしても、必ず治します。」

と泣きながらもお願いをしました。


そしてどうしても
人生の最期を病院のベットで・・・
というのがイヤだったのです。

人生の最期くらい大好きなものに囲まれていたい。
死ぬ時くらい・・・キレイなお肌の色のままでキレイな身体のままでありたい。

そう思いました。

 

担当医に対してどうして泣いたのかは
それは

「今、僕のいうことを聞かないとあなたはもってあと2年ですよ。
死にたくないのなら言うことを聞いてください。」


激痛でどうしようもないわたしの身体に
まずは鎮痛剤の注射を打ち、激薬でもあり副作用の激しい新薬を飲むようにと
言ってきたからです。
残念ながら、わたしたちはモルモット状態というのが治療の現実でした。

お薬を飲んで治るのなら・・・
それは難病ではないでしょう?
完治する方法が見つかっていないから難病なんでしょう?
このドクター
何を言ってるの・・・?
わたしはモルモットじゃないの。
本気でお医者さまなら、
どうして
「一緒に頑張りましょう!必ずよくなりますから!!!!!」

って言えないの・・・?

と本気で思ったことを昨日のことのように覚えています。

 

言われなくても末期なことくらい身体の症状が尋常でなかったわたしには
わかりきっていたことなのに、そこに追い打ちをかけるかのように・・・
もってあと2年です。
よくご自身の人生と命のことをまず一番に考えてください。

 

そう淡々と言ってきたのです。

 

人は思ったとおりの人生を歩み
思ったとおりの人になっていく

 

ということを
100%なんの疑いもなくそれまで信念をもって生きていたわたしに
想定外の出来事が起こってしまった・・・

というかんじでした。

そのまますぐに病院の近くにある神社へ入り
しばらくの間
ただひたすら神様と対話をしていました。

まわりは
忙しそうに足速に歩いていつサラリーマンだらけの大都会の中のポツンと
あった神社。

もう同じ速さで行くことがわたしにはできない。
どうしよう。
わたしはどうしたらいいですか?って。

 

そして見事に
それから先の数年間
それまでわたしが信じてやまなかった

 

人は思ったとおりになる

 


そうすべてがその通りにならないこともある

 

ということを
痛いほど思い知らされることになったのでした。

 

最低でも2年は何もしないでまずはご自身の身体をケアしてください。

そう言われた時のわたしは
2年もかかるの?
2ヶ月もしたらきっとまた動けるようになるよね・・・!

と思っていたのが
痛みがやわらぎかろうじて歩けるようになるまで
想像を絶するその何十倍もの時間がかかったのです。
それと
当時のわたしには
多分この人生で一番大切で一番大好きでもうそれ以上もそれ以下もなく
とっても大切で大尊敬していた・・・とっても大切な人がいたのです。

だから
その人に会えなくなることや同じ時を同じ時代を過ごせていた自分が
消えてなくなるだなんて・・・

絶対にイヤだったのです。

 

 

 休養生活

それまで大都会で暮らしていたわたしは、自然と身体がもうその土地では暮らせなくなり、
少し離れたお庭付きの物件で休養生活を送ることにしました。

とにかく無性に・・・「土」に触れていないと「土」の上にいないと
身体ごと天国へすぐにでももっていかれそうな感覚に陥っていたからです。

 

そのお部屋で気づかされたこと。
それは・・・
「自然の摂理にそむいた暮らしをしていると人の身体はバランスを崩していく」

ということでした。

そのお部屋へ移り住んだのは
2007年6月下旬。初夏。

お庭に囲まれた1日中太陽の光が降り注ぐあたたかくてとってもキレイな角部屋で、
立つことも歩くこともままならなかったわたしはすぐにお庭が見えるところへベットを置き、
ひたすらお庭の草木を眺めること数ヶ月。

何も手をくわえていないのに、初夏の2週間くらいで1mくらいに草は伸び
秋になる頃には木々たちには実のようなものがなり始め・・・
冬になると自然に枯れてゆき・・・
春になるとお花が咲きはじめ蝶たちがふわふわと集まってくる♡

雨の日には、ひたすた雨にうたれ、風がふけばそよそよと風のままになびき・・・
キラキラなお日さまの日にはその太陽のほうへむかってお花や葉っぱたちが
顔を向けていました。

 

ただあるがままに。

 

そんな風景でした。

 

ほとんど寝たきりだった最初の1年間に見たその光景は
わたしの中で何か身体全体の力がすーっと抜けていった瞬間でもありました。
倒れるまでのわたしはまるでブルドーザー。

流れにまかせるどころか・・・
流れをかえてまでなんとかしてしまったり
逆流でものぼっていってしまったり・・・

本当に今思うと
若さというか
なんというか

想いや気持ちや意志があるのはいいけれど・・・
やっぱり

人間は生身なので
身体がオーバーヒートしてしまっていたんだと思います。

 

あとは
エネルギーの回転が何かあるタイミングからどんどん逆回転のようになっていった時期があって

本当のわたし(内側のわたしの想い)と外側の部分のわたしが
どんどん分離していった時期があって
本当のわたしのままでいたいのに
外側のわたしのほうがどんどん一人歩きをしていって
そのスピードがものすごく速くなってもうもどれないのかもしれない・・・

という現実の中にあった時

 

わたしの内側の本当の想いが
一人歩きしはじめた外側のわたしを
全力でひきとめたんだと思うのです。

 

だから
生まれ変わるためにも
きっと神様が全身動かなくなるほどの激痛を何年もあたえ
まるで重しのように・・・
肉体レベルで見ると「死」に向かっていたはずなんだけれど
エネルギー的に見たら「完全なるグラウンディング」をさせる期間だったように思います。

 

完全に2007年七夕にわたしの1回目の人生に幕が降ろされ
寝たきり休養期間はまた生まれ変わって新しい(本来の自分)へなっていくための
re-born(リボーン)期間だったと思います。

 

寝たきり全身激痛、筋力の低下、マヒ・・・
つまりは何もできない
ただ生きているだけで毎秒毎秒が激痛。

 

普通であること。
普通に生かされていること。

それは
本当は奇跡に近いことなんだ

 

って
涙が止まらなくなるまで

 

ただ
ただ
ひたすら

「また立てるようになったらまた歩けるようになったら
もう何もいらないから・・・普通の女の人みたく1日でいいから
キレイなお洋服をきてキレイにして美味しいお食事を食べて
お外を歩いてみたい。」

 

本気でそう思ったのです。

このただただ普通のことが
寝たきりになってしまったわたしにはどれも叶わなくなってしまったことだったのです。
お洋服を着る握力もなく、お洋服の布があたれば激痛。靴なんて言語道断。
身体を締め付けられるすべてのものがもう皮膚が激痛すぎてダメになっていたからです。

それまでどれだけ幸せでどれだけ最高の時間を過ごしてきていたのか・・・と
もっと時間やまわりの人や出会っていく人たちを大切にすればよかったと後悔しました。

 

 

4 休養中にすべて変えたライフスタイル

 

それまでのわたしは
スケジュールがはいっていない日は1日もない!
くらいお仕事もプライベートもとにかく眠る時間をおしんでまで
やりたいことすべてに全力な子でした。

ここだけ書くと何か前向きなとってもいい子?なイメージかもしれないけれど
本当は
まだ20歳だった頃のわたしが大きく身体と心に傷を追ってしまった「あるコト」
を思い出す時間がないように、
そのコトを思い出してその場で泣き崩れてしまわないように・・・

ただひたすら、何も考えられないほどに、お仕事とプライベートで時間を
うめつくしていました。

もうほとんど無理矢理です。

今のわたしがもし、その当時のわたしを見つけたら・・・
泣いたらいいよ
悲しいし悔しいしどうしようもならなくても悲しく悔しい出来事だったんだから
ムリに笑わなくてもいいよ。

って言ってあげるかもしれません。

 

今になったからこそわかることなのだけれど
その時その時
たとえどんなに心が痛んだとしても
どんなにこの世の終わりくらいに悲しかったとしても、そこに向かい合わないと。。。

向かい合ってその時にちゃんと感情や現実を整理しておけば
きっとすぐ次のステージへあがれるんじゃないのかな。。。って。

わたしはずっと長い間
自分の内側の感情にフタをしたまま何事もなかったかのように
ただひたすら笑顔で過ごしていました。

まわりの人に迷惑をかけたくない一心で。

でも結果的には、自分の感情にフタをするということは
他の誰でもなく「自分」を一番傷つけてしまうことになるのではないのかな・・・?

となんとなくそんなふうに思えるようになったのは
36歳当時・・・寝たきりになった時にはじめてでした。

まるで赤ちゃんみたく
声を出して
わんわん何時間も泣いていたから。

後悔の想いしかその時にはなかったのが現実で
あの時、心に誓ったこと

それは
また生まれ変わったら
また普通の身体にもどったら

その時は
今度こそ自分をもっと大切に生きよう。

それが今できているかどうかは
まだわからないけれど
少なくても身体を守ることだけは人一倍敏感になっていることは確かかもしれません。

 

わたしが担当医からの入院や投薬を拒否してまで
休養期間にチャレンジしてみたライフスタイル

 

□ 睡眠時間を時間通りにする。
とは言っても、目覚めても起き上がれなかったので最初はずっとベット
でした。ね。
□ お食事を野菜メインにする。
とにかく肉食だったので、1日3食をお野菜メインにしました。
□ 間食をしない。
□ 白湯を1日1リットルは飲む。(食後30分くらいに)
これは消化力をサポートするため。
□ 朝日を浴びる。
□ 月を眺める。
通院帰りのタクシーの運転手さんからポツリ言われたことが
きっかけでした。
「お月さま眺めると心身が整うよ。特に女性は月と連動しているから。」
頭ではわかっていたことでも、とにかく常夏&海派だったわたしは
太陽ばかり追いかけていたので、「月」を意識するようになってから
というもの・・・すこしずつ女性らしさがでてきたように思います。
□ 土に触れる。
□ 森林浴。ハイパソニックサウンドという人間の耳ではキャッチできない周   波数の音で脳はキャッチできる音が森にはあるようで、その音を
脳に聞かせると細胞が若返るというデータがあるほど。
具体的にはこのくらいしか、寝たきりのときにはできませんでした。
お外に出ることすら大変だった時期なのでひたすら室内か自然の中にたく自宅の庭か・・・
もっと身体をなんとかしたいときには森へ。

 

ごくごく普通のことなのに
わたしは倒れるまでこの普通のことが特に
時間帯がバラバラで・・・
人の身体にはあまりよくないライフスタイルだったので、
とにかくまずは人としての暮らしの原点みたいなスローライフでした。

 

結果的に
もうダメになってしまった細胞たちを復活させたり再生させていくには
生きた酵素を体内に取り入れ続けながら、細胞を若返らせていくファイトケミカルを
たっぷり摂取していくこと。
そしてしっかり睡眠を取ること。

ただそれだけの繰り返しの日々。
いつになったら全身の激痛が身体から消えてなくなるのか
それはもう拷問のような1,000日以上の日々の中で・・・

もうひとつ
欠かさずにやっていたこと。

それは
毎日、自分の身体を手で触りながら
「今までどうもありがとう。こんなに痛くなるまでどうもありがとう。
もう2度と痛くならないように大切にするから今まで本当にどうもありがとう。」

と話しかけていました。

そして
最悪の状態の期間に
その当時のわたしを支えてくれていたのは
わたしが大好きだった人からの深夜に届く1通のメール。

 

「美幸ちゃんは神様が殺さないよ。だから安心して。」
「もう自分のことだけでいいんだ。
ようやく自分の人生をどうしていくのかをちゃんと考えられる時がきたね。」
「いつも元気で笑っている美幸ちゃんをイメージしているよ。」

 

24時間 全身の激痛と空気そのものが痛いというまるで拷問のような休養生活をしていた
わたしにとって

この深夜 03:00 〜明け方にかけてが実は一番辛い時間でもありました。

だって真っ暗で身体の痛みがひどすぎて眠りたくてもなかなか眠れなくて
どんどん痛みが増していって・・・
もうこのまま死んでしまったほうが楽なんじゃないかな・・・
って本気で苦しくなる時間だったから。

このたまに送られてくる・・・1通のメッセージが本当に命の綱のようなくらいでした。

さすがにわたしが大尊敬して大好きだった人だけあります。
状況を知っていた他の誰もが・・・

「美幸ちゃん かわいそうに。もう美幸ちゃんは終わったね。かわいそう。」

と言っていたのに
この人だけはとらえ方がそんな人生最悪のタイミングだったあの時でさえ
前向きだったのです。
わたしをいつもどんなときでも

もうムリ・・・辞めてしまいたい・・・とくじけそうになっても


前向きにそしてより上へと高みへといつも成長させてくれる
そんな人でした。

まだ元気だった頃にいつもわたしに伝えてくれていたこと。

僕の年齢になる頃の美幸ちゃんは、今の何百倍も素敵だよ。
同じ景色を見れるようになってる子だから、もっと本気で生きて。

ありがとう。

 

 

でも
まだi-phoneとかスマホがない2006年。

普通にガラケーを持っていたわたしは、電話が鳴ってもメールが来ても
携帯をひらいて耳にあてるという握力すらなく
もちろんプッシュボタンを押すという握力もなくなっていたので
携帯が鳴っても大好きな人からのお電話でも着信に名前が点滅しているのを
ただ見ることができるだけで、それから数年間はそのお電話に出れることは
もう2度とありませんでした。

他の誰よりも「素のわたし」をいつも見ていてくれたとっても大好きだった人

だからこそ、優しいだけではなくて時としてどうしてそんなに厳しいことばっかり言うの?
っていうくらいいつもいつでも神髄をついてくる

そんな人でした。

当時は、難病にかかっていてもうどうしようもないところまできてしまっていた
という状況をほんの数名にしかお伝えしていなく
勿論その事情を本人にお伝えしていたにもかかわらず、
色々な誤解や世間の噂が先行していたので・・・

そのお電話も半年〜1年は続いたけれど・・・
それ以降はなくなっていきました。

わたしは見た目が普通の人よりも元気オーラ?らしく
担当医からも

「休養期間は誰とも会わないほうがあなたのためです。
人から見たらわからないから、
あなたが傷つき苦しくなり快復を遅らせてしまうことになりますよ。」

と注意されていたとおり
やっぱり理解をされなかったのです。

 

そんなことないよ。そんな人いないよ。
ちゃんと話せばわかるよね。みんなそんなに悪い人ばかりじゃないよ。。。

と思っていたわたしでも
担当医の言っていたとおりの現実だけが起こっていったのです。

誰にもわからなかった。
何を伝えても何を話しても
ほとんどの人は見えているものだけでしか判断ができない

というのが現実で
当時のわたしは完全に人間不信に陥ってしまったほどでした。

 

その人から見たら、わたしに無視されていると思われても仕方なかったのです。
でも心の中では、本当にまた立てるようになって電車に乗れるようになって
階段も登れるようになったら・・・
一番最初に会いに行くよ。
だからそれまでの間はわたしのことは忘れて
その人の人生を謳歌していて欲しい。
そう思っていたのです。

と思いながら
ただひたすら身体をよくするために過ごしていたのです。

わたしのために大切な人の人生のスピードをスローダウンさせたくなかったのです。
大切な人の幸せと笑顔・・・そして夢
すべてをこわしたくなかったから。
それはわたしの夢でもあったからなのです。

もう時効だけれど
本当に大切だったのです。
すべてが。

 

5 三途の川と見せられた過去性

 

寝たきり期間に何度も天国へ連れて行かれそうになったわたしの
三途の川と見せられた過去性についてはまた追って書いていこうと思います。
人は死ぬ時にそれまでの人生をすべて走馬灯のように見せられると聞いたことはあったけれど
わたしのそれは・・・
赤ちゃんまではもちろん・・・
過去・・・現世に産まれてくる前の自分の魂が見て経験してきた時代の映像をいくつかの国に
わけられて見せられたのです。

 

 

6 今も独身なままでいる理由

 

ずっと身体に痛みがあるままの時には
目の前にいる人でさえもやっぱり理解ができずに
心ない言葉でわたし自身が傷ついてしまうので
誰かとおつきあいをする余裕が正直まったくありませんでした。

それどころか・・・
握力も筋力もすべて低下しているワケですから
怖くて信用がなりたっていない男性を側に置くことは恐怖以外の何者でもなかった
というのが本音。

そして、もう普通の女性みたく普通のことができなくなってしまった身体になっていたので、
男性に対して申し訳ない想いのほうが強く

このままずっとひとりでいようと決めていたりもしました。
大切な人に悲しい思いをさせたり、苦しめたり、迷惑をかけたくなかっただけなのです。

そんな渦中でも
「僕の家族になってください。一生かけて守ります。」
と言ってくれた人もいました。

 

これも本当に涙がでるほどに嬉しかったしそうしたかったのに
色々なことが絡み合い・・・
離れ離れになることになってしまったのです。

この人は
わたしの実の両親からも与えられたことのない愛や心を感じることができた初めての人で
まるでわたしの心の中をずっと小さい頃からのわたしをどこかで見ていたんじゃないかな・・・?
わたしがこの人生において一番欲しくて探しても探してもずっと見つからないままいたあるコトをすんなりとわたしに伝えてきたのです。

 

「本当に欲しかったものは・・・
成功すことでも社会的地位を得ることでもお金をたくさん稼ぐことでもなかったはずです。」



僕ならそれを一緒にできますよ。って。



感極まる
というのはああいうきっと瞬間。
何も伝えていなかったのに・・・どうしてわかったのかとっても不思議でした。

このあたりから
もう何年も立ち直れないまま・・・
ただひたすら身体をよくしていくことだけに過ごしていた数年間でした

 

なかなか男性を心から好きになることが少ないわたしにとっては
本当に貴重な体験でもありました。
「恋多き人」というイメージがあったようなのですけれど
実際はいたって一途な人で・・・
大切な人がたったひとりだけいたらそれだけで十分幸せ♡と感じることができる人なのです。

今でも独身なのは・・・
誰でもよかったわけではなかったからというのと
ある程度まで身体がよくなるまでは、ひとりでいようと決めていたから。

だってイヤですよ。
例えば夜中に、発作で急にそれまで元気だった愛する人が突然意識不明になる・・・とかね。
とってもビックリしてしまうし・・・大切な人を悲しい想いにさせてしまうでしょ?
だから、ずっとひとりを選んできたのです。

でももうそろそろ
身体も整ってきているので
一番欲しかった家族♡
に恵まれるといいな♡

と思ってみたり。な今日この頃。

 

わたしの意志とは裏腹に
なぜか?
これまで、お家にいていいよ

と言ってくれる人と出会ったことがないので
本来のわたしらしく
パートナーをサポートしながら生きて行けるようなパートナーと
出会えたら本当に嬉しいかな。

もともとお仕事のお時間がもし
人生の中の半分くらいを占めているのなら
好きなことで誰かの役に立てることがいいな
ということでこのお仕事をしているくらいで
本来は、パートナーをサポートすることが大好きなのです。

 

わたしのこれまでの人生では
どうしてもわたしを応援してくれたり
もっと才能を伸ばしていくことに集中して
と言ってこられることが多かったので
なんとも不思議なものです。

 

そして
10代の頃からよく「美幸ちゃんにはパトロンがいるんでしょ?」
ともう何万回も言われてきたこの台詞。
まだ「パトロン」の意味すら?????だった10代の頃からです。
もしわたしにそういうお方がいたとしたら・・・
多分日本にはいないですね。

海外の暖かい島とか無人島とかどこか島ごと買っていただいてゆっくり暮らしているか
リゾートSPAとかやってみたりしているんじゃないかしら。

パトロン?的なお方が存在していたりするのなら・・・
そもそも賃貸物件で暮らしていないでしょう?

と毎回、このパターンの妄想をされてしまうと?に感じます。

 

 

 

7 家庭環境

華やかに見られがちなわたしの子供の頃の家庭環境は、あまり人には知られたくないくらいのちょっぴり壮絶な環境でした。
これもまた改めてUPしていこうと思います。

両親へはこの世に産み出してくれたことだたそれだけに今は感謝しています。

産まれてこれていなかったら、楽しいことも悲しいことも何も体験することができなかった
からです。
肉体を持つということは、3次元でしか体験することができない
たくさんのことを体験するため。
魂の入れ物でもある肉体(器・神殿)を大切にすることにつきるように思います。

 

 

8 100%美容のお仕事から美容・健康のお仕事へシフトチェンジした理由

 

 

寝たきりになるまでのわたしは、女性がキレイになって笑顔になって
どんどんキレイになっていって幸せになっていく姿を見ることがとにかく大好きで

そこをサポートするお仕事をメインワークにしていました。

女性の美や笑顔・・・喜んでいただくという仕事についたきっかけは
またあらためて書き足していこうと思います。

 

美しくある前に健康であることがどれだけ大切なことなのか

 

というもっともっと根っこの部分を頭ではわかっていたことでも
寝たきり全身のマヒという症状になったことで、痛感してしまったのです。

まるでそれまでやってきたことすべてが、間違えていたのかもしれない
とすら思えてくるほどに、
自分の顔も自分で洗う筋力がなくなってしまった当時のわたしにはショッキングでした。

 

生かされている今
それまでと同じスタイルではなく、色々な人の役に立てるようになりたいと
現在のスタイルになってきています。

30代中頃で、老後のおばあちゃんの寝たきり闘病生活を体験させられたも同然でしたので、
老後に何が必要なのか、何に気をつけていたらそうならないのか先に見せられた感覚でした。

死を目の前に置かれたこともわたしにとっては大きなターニングポイントになっていたと
思います。

この世に産まれた時から「死」に向かって毎日生かされていることに
普段はあまり気がつかないもので、特に身体が元気なときにはあまり気にもしないのかもしれません。

でも「死」というリミットがはっきりと見えてくると、
「時間」というものがどれだけ大切なのかを思い知らされることになるのです。

 

誰と過ごすのか
何をするのか
どんなことを思い
どんなことを託し
誰と幸せや喜びを分かち合い
誰と同じ瞬間をシェアするのか

 

これは本当にプレシャスな時間で
きっと天国へ行くときにこんなことを思いだすんじゃないのかな・・・

って思いました。

だから「生かされている時間」はとっても大切。

 

寝たきりの最悪の状態から水素吸入を少しの間していたことで
お箸やコップがもてるようになったりしたもの
その当時はまったくただただ死にたくないという一心で取り入れていたことすべてが、今のわたしのメインワークにも繋がってきていることへも感謝な日々。

こういう流れになってきていることも
きっとどこかで神様が見ていてくれて・・・
必要なタイミングに必要なものや人やコトを必ず送り込んできてくれていることへも心から感謝しています。

まだ会ったこともお話しをしたこともないけれど
わたしは神様に守られているな・・・
と感じることがこれまで多々あるからです。

 

死を目の前にしていた 「re-born」な期間から生まれ変わっているそれからのわたしは、
健康であること病気にならない身体づくりをサポートさせていただくことに
重きを置くようになりました。

多分、それがわたしがまだ天国へ召されていない理由というか使命?
のような気がしているからです。

先に見せられてしまいましたから。

寝たきりになるまでのわたしは、たくさんのものを持ってたくさんのものに囲まれて
なんだか重量オーバーみたいなそんなイメージだったのですけれど

あの期間にすべてをいったん手放し、あの日からのわたしは、
ただひたすら大切なものだけを選ぶようになりました。

たくさんのものより少しでもいいから大切と感じる大切なものや人や想いの中にあるほうが
心地よいと思えるからです。

 

9 今の想い

 

命があって心身ともに健康であれば何でもできます。
もし身体が健康でなかったら・・・
本人はもちろん、大切な家族や愛する人を悲しませることになってしまうかもしれません。

そして沢山のお金があったとしても、「ありがとうの交換ツール」でもあります
「お金」を楽しむことや幸せであることへ投資することがほとんどできなくなってしまうのです。
これは寝たきり当時のわたしにたまたま貯金があったり、当時在籍をさせちただいておりました会社からの保険がおりていたりで、働けなくなった間でもなんとか命をつなぐことができた
というのが現実でした。


あの時仮にまったく貯金がなかったら・・・
きっと今、わたしが生きていなかったかもしれません。
お金だけが一番大切とは限らないと常々思っているわたしでも、
あの時だけはそこには感謝しました。
高齢化社会でもある今の日本の現状を、元気なまま老後の生活を送って欲しいという思いが
まず先にあります。
きっとそのことが、本人にとってもまわりのご家族にとっても一番の幸せにつながるのでは
ないかな。。。と思っています。
少しでもそこのサポートをわたしのお仕事を通じてさせていただけますと嬉しく思います。

 

 

今わたしのまわりやそばにいてくれている人たちへ
いつもありがとう♡心から感謝しています。

そして
まだほとんど寝たきりのお時間のほうが24時間の中で大部分を締めていた頃に
わざわざ自宅サロンまでお客さまとして足を運んでくださいましたすべての方へ
本当に心からありがとうを伝えたいです。

 

おかげさまでだいぶ身体は整ってきていますけれど
やっぱり元通りの体力や身体には戻れていないので
限られたお時間の中でしか時間を共有することができないというのが現実。

これからも素敵と感じる瞬間や幸せと感じる瞬間を大切にしていきたいなと
思います♡

 

もしあと1日しか生かされないとしたら
誰に会いに行って
何を伝えたいですか?

どこに行って何をしたいですか?

会いたいと思ったときには
会いにいけなくなっているかもしれません。
行きたいと思ったときには歩けなくなっているかもしれません。

生かされている間に
心のままに
ただあるがままに

そんな毎日なら
きっと
天国へ召されるときに
良かった
って思えるような気がしています。

魂だけになったら
きっともっと近くにいつでもそばにいれる

あなたを大切に想っている人は
きっといつでもそばにいて
いつもいつでもどんな時でもあなたの幸せを願っていると
そう感じます。

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
激痛をともなっている人はこんなことが理解されずに困っています

痛みは目には見えないので、見た目にあからさまにもう死にそうオーラがでていない限り
まわりからは普通の人にしか見えません。
その分、本人が一番気をつけて過ごしているものの社会復帰をしていくタイミングで
一番困ってしまうことをいくつかあげておきたいと思います。

病気をなんとか治してあげることは、ドクターでもできていないから難病なので
そこはなんとかしようと思わずに・・・ただ寄り添い受け入れサポートしていく
イメージだけでいいのかなと思います。
誰よりも・・・本人が一番わかっている痛みなので、自分を守っていこうとするライフスタイルへとシフトチェンジされていらっしゃる方がほとんどです。

 

 

□ 基本ずっと身体に痛みがあるため、身体をしめつけるようなお洋服や
   ゴワゴワした記事などのものに触れることができません。
   すこしゆるめなお洋服だとしてもそれは身体を痛みから
   極力遠ざけるためです。
□ 人ごみが苦手です。身体に「激痛があるので触らないでください」と
    シール?でも貼っていない限り、人からは気がつかれないので、
   不特定多数の人がたくさんいる場所へはあまり行くことができせん。
   (特に満員電車など)
□    気圧の変化で身体の痛みが増しますので、雨や雪の日には外出が
   できなくなることがあります。
   お天気によって突然、当日キャンセルなんていうことも沢山あります。
□ ガラスなど冷たいと感じるすべてのものに触れることが苦手です。
    痛みが増してしまうからです。
□ 階段の上り下りなどのある経路は身体に負担がかかるため
   避けていることがほとんどです。
□ 常に痛みとともにあるので、普通の人より疲れやすいため、
   同じペースで人と過ごすことが困難な場合があります。

とにかくたいていの人は、
「どうしてそんなにマイペースなの?やる気あるの?ただ甘えたいだけで
なまけたいだけでしょ?」

とすくなくとも2〜3回は言われてしまうようなことが起こってしまいます。

社会復帰をするまでの間、この症状の方のほとんどは自殺をしたくなるくらいの激痛な身体と
数年間ともにいますので、ようやく社会へ復帰しようと外の世界に戻っていくときには、
もうこれでもかっていうくらい、心ないささいな言葉や態度で心が折れてしまい、
誰からも理解されないという現実に究極の孤独感を感じ、
次の一歩をふみだしていく勇気がある人はいいけれど、
たいていの人は傷つきそしてなかなか色々なことに時間がかかってしまう
というのが現実のように思います。

実際にわたしが寝たきりになった2007年の1年前に、テレビ局のアナウンサーな女性が
このご病気で、生後間もない自分の赤ちゃんをだっこすることもできず、
ご家族からの理解も得られずに攻められ続け・・・
泣いている赤ちゃんの目の前でリビングのベランダから飛び降り自殺をされ
ニュースにもなりました。

彼女の遺書に書かれてあった内容と当時わたしがうったえていた身体の症状が似ていたことから
もしかしたら美幸ちゃん・・・この病気なんじゃないの?病院行ってみたら?

と言われたのは最初のきっかけでもありました。
まさか自分がそうなるだなんて夢にも思っていなかったので、ショックだったけれど
それ以上に身体がどうしようもなくなっていたわたしがその病院で目にした問診票・・・
どの項目もすべて「YES」
ショックと同時にほっとしたことを今でも覚えています。
あとはよくなる方法をみつけてそれをしていくだけでいいところまで
ようやくたどり着いたからです。

今はとにかく生かされていることに感謝しかなく、
ただそれだけにつきてしまう日々を送れていることに感謝です。

死と隣り合わせにいた数年間、「これだけあれば人は生きていける」
とわかった必要最低限のものさえ大切にすることができていたらきっと大丈夫なんだ
っていうあの時の想いを忘れないようにありたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

本当に大切なことって、きっとたったひとつしかなくて・・・
その大切なことさえ守れていたら
どんなことが起こったとしても人って生きていけるような気がしています。
そのたったひとつの大切なことを探したり、見つけたり育てたりしていくのが
多分人生なのかな。

人って少し元気になったりすると・・・
あれもこれもあれもこれもぜ〜んぶ♡
みたいになってしまうし
でもきっとそこを楽しむために肉体をもっているんだとしたら
そこは生かされている限りは楽しまないと・・・♡
死んでしまわない程度に。。。

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2016年8月末にひたすら書き留めた文章なので、また追って書き足していこうと思います。
同病の患者さまはもちろんのこと・・・
何かのヒントになりましたら幸いです。
※ 繊維筋痛症は内蔵疾患がまったくなく遺伝でもないどんな検査をしても異常があらわれないというドクターでも認識しずらい症状です。
2016年現在も厚生省の認可のおりていない難病です。
完治するケースは人それぞれ、先天性の場合と後天性の場合があり、
わたしの場合は後天性でした。少しでも痛みから解放される何かのヒントになりましたら
幸いです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

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